何のために生きているのか
わからない
この先、生きていて
何があるんだろう
幼い頃から、27年間
そんな感覚を抱えながら
生きてきました
人の顔色ばかり気になる
誰かの機嫌が悪いと
「自分のせいかもしれない」
と考えてしまう
事を荒立てず、
自分が我慢すればいいと
自分の気持ちを押し殺す
嫌なことを断れない
自分の気持ちや意見が
わからない
誰かの一言を
何日も引きずる
自分の言動に
一人反省会が止まらない
「ちゃんとしなきゃ」
「頑張らなきゃ」
「いい人でいなきゃ」
そうやって
自分を追い込んだ
それでも、
周りから見た私は
”普通”に見える
「いつも笑顔で優しいよね」
なんて言われたりして。
でも私は、
そんな生き方が
当たり前だと思って
生きてきた
そしてある日、
「生きていたくない」
心も身体も
限界を迎えた
でも、
その言葉とは裏腹に
「私だって本当は
人生を楽しんでみたい」
「悩みが尽きない毎日から
解放されたい」
そんな思いも
心のどこかにありました
私が『HSP気質』を
知ったのは、
休職する2年ほど前
「私だけじゃなかったんだ!」
「私の取説があった!」
そう思えて、
たくさん共感して
心から安心した
でも…
HSPだと知っただけでは
現実は何も
変わりませんでした
むしろ
生きづらさは
増していく日々
結局、
うつ状態・適応障害になり
休職することになりました
そこから初めて
「自分を変える」
のではなく
「自分を知ること」に
意識を向けてみたのです
一つずつ
自分と向き合うことで
少しずつ、
私の生き方が
私の人生が
変わっていきました
そして今、
どん底だった私には
想像もつかないほど
「人生楽しい」
って心から笑って
生きられるようになった
まだ幼い子供に
日々怒鳴り散らかし
発狂していた私が
子供の気持ちに
寄り添ってあげられる
ようにもなった
笑ってお出かけしたり
笑って一緒にご飯を
食べられるようにもなった
「生きてるだけで精一杯」
だった私が
「生きててよかった」と
今まで感じたことのない
充実感を
手にいれることができた
これは、
「自分史上最高の人生」を
手に入れるまでの
人生逆転ストーリー
私と繋がってくださった
”あなただけに”
私の人生の全記録
すべてお話しします

こんばんは!
とうふです◻️
今日は、
人の顔色ばかり伺って
人の機嫌に左右され続ける
自分の気持ちにフタをして
数々の生きづらさを抱え
自分を厳しく追い込み、
『HSP気質』を知って感動するも
生きづらさは何も変わらない。
そんな自分が嫌いで
病まなかった日はないくらい
365日、自分を責めた。
生きる意味がわからなくなった
人生のどん底から
自分自身を理解して
どんな自分も受け入れることにより
自分を責めることも
我慢もすることもなくなって
『私は私だ』と
新たな生き方を手に入れた
ラクに楽しく
ありのままの自分で
生きられるようになり
本当に毎日が充実で、
新鮮に感じられるようになりました!
自分自身を知ることで
人生が180度変わった過程を
包み隠さず
全てお伝えします。

この記事に書かれていることは
私の過去であり
紛れもない事実です。
途中で目を背けたくなる
ところもあるかもしれません。
正直、ここまで
全て話すことは
とても勇気が要りました。
生き地獄のような
あの頃の記憶…
思い出すだけで
胸が苦しくなり
今でも泣けてしまうからです。

でも、私は
その地獄のような過去を
乗り越えて今ここにいます。
そして、あなたにも
私の過去を
知ってもらいたいと思っています。
あなたが一歩でも
前に進む勇気の糧にしてほしい。
あなたには
私のように
目的地に辿り着くまでに
たくさんの回り道や
しんどい思いを
できるだけしてほしくない
と思っています。
自分の思い描いた
輝く未来を手に入れることを
絶対に諦めないでください。

たとえ、
すぐに結果に
繋がらなくてもです。
正しい努力をすれば
必ずあなた自身の力で
生きづらい人生から抜け出し
自分の気持ちを大切にしながら
自分の人生を、自分で選択して
生きられるようになります。
この事実を
あなたにお伝えしたくて
この記事を書くことにしました。
私の過去を知って
あなたが一歩踏み出すための
糧に変えてください。

これからお話しするのは
27歳の秋。
人の機嫌に振り回され続け
『誰の、何のために
生きているのか』
生きる意味を見失っていた私が
たったひとつのきっかけで
人生が180度変わったお話。
周囲の機嫌を取り、
自分がどう思われるのかを
気にして
自分の気持ちを
押し殺し続けたために
本来の自分がわからず
苦しみ続け
生きづらさを
抱えていた私が
自分自身を知り
受け入れることで
周囲の顔色を気にすることなく
他人の言動にも振り回されず
自分の意思をしっかり
持てるようになった。
そして、
自分の人生を生きるって
こんなに素晴らしい世界なのかと
思えるようになった
ウソみたいなホントの話。

生きづらさばかりで
明日に希望なんて
持てなかった
真っ暗なトンネルを
歩き続けて
出口なんてわからない
どん底な人生を
歩んでいた私が
あるきっかけで
人生が大きく変わった話を
お伝えします。
正直、辛い表現も
たくさんありますが
私の経験が
あなたの心を救えたらと思い
全て包み隠さず
お話しします。

私は昔から、
人の顔色を伺って生きてきました。
私は3人兄弟の長女に生まれ
2つ下の弟、
5つ下の妹がいます。
幼少期の写真を見ると
4歳ごろまでは
本当に楽しそうに笑っている私が
たくさん残っています。
でも、
5〜6歳頃から
私の笑顔の裏は
どこか曇っていきました。

「お姉ちゃんなんだから」
そう言われて
たくさんたくさん
我慢してきました。
弟や妹が泣けば、
「何やったの!」
「泣かせるな!」
「余計なことするな!」
と、母に怒鳴られる。
「私じゃない!」
「私が先にやられたんだよ!」
そう言っても
「ウソつくな!」
と、信じてもらえない。

母にとって
誰が悪いのか
なんで泣いてるのか
そんなの関係なかった。
弟と妹が泣きやめば
それでよかったんです。
何があっても
怒られるのは
いつだって私だった。
(私も親になった今、
母の余裕のなさは理解できますが)
私はまだ幼稚園生だったのに
「どうせ何言っても無駄」
「私のことなんか信じてくれない」
「私のことが嫌いなんだ」
そう思うようになり、
誰にも、自分の本心を
見せなくなりました。
「あれがほしい」
「これがいい」
そんな
「自分の意思」さえ
いつの間にか
わからなくなっていました。

そして、
物心ついた頃から
両親の喧嘩が絶えませんでした。
父は、
パチンコ、酒癖、浮気、
母への罵倒や暴力。
最終的には、
闇金に手を出すほどの
借金まで抱えていました。
朝起きたときも
学校から帰ったときも
まず確認するのは
母の機嫌。

ドアを強く閉める音
食器をガチャガチャ洗う音
眉間のシワ
強めの声、言い方
それだけで、
「怒ってる…」
「今夜も喧嘩が始まるかも」
そう思って、
気が気ではありませんでした。
父がお酒を飲んでいると、
「突然怒り出すかも…」
「喧嘩になるかも…」
と空気を察して
怯えながら
ご飯を食べました。

喧嘩が始まりそうな時は、
父が暴れて
物を壊さないように、
危険なものや
大事なものは
なんとなく先に片付けて
弟と妹を
別の部屋へ連れて行く。
まだ小さかった妹が
喧嘩を覗きに行けば
「部屋から出すな」と
怒られる。
父の暴力から
母を守ろうと、
子どもの私が
身体を張って止めたこともありました。
まだ子どもだったのに
「どうしたら喧嘩を防げるか」
「どうしたら被害を小さくできるか」
そんなことばかり
考えていました。

そのうち
母が殺されるかもしれない。
母が自分たちを置いて
出ていってしまうかもしれない。
そんな不安を抱えながら
布団の中で、声を殺して
泣いたこともあります。
眠れない夜もありました。

何度も祖母に
相談しようと思いました。
でも、
「絶対に言わないで」
「余計なことしないで」
と母に止められてしまう。
助けを求めることができず、
黙って耐えるしかない日々。
私自身も、
自分の家族が、こんなに
めちゃくちゃであることを
誰にも知られたくない。

恥ずかしい・・・
もし友達にもバレたら
嫌われてしまう…。
そんな思いで、
18歳頃までは
私は家庭のことを
ほとんど誰にも話さず
ずっと一人で抱えてきました。
泣き腫らした目で学校へ行って
「どうしたの?」と聞かれても
「うつ伏せに寝てたから
目が腫れちゃった!!笑」
なんて見え据えたウソで
誤魔化した。

まだ小学生だった妹が、
「パパが勝手に大金使って
ママが倒れた!!」
と、私のバイト先に
泣きながら
駆け込んできたこともありました。
それでも私は、
他の大人(従業員)に
バレないように
「あー、、なんか、
妹が母と大喧嘩したらしくて…」
と、咄嗟に嘘をつきました。
今すぐにでも
飛んで帰りたかったけど
そんな本音にフタをして
“普通の家庭のフリをすること”
を優先しました。

今思えば、
それくらい私は
「周りにどう見られるか」を
恐れていたんだと思います。
食事中も
車の中でも
父と母が喧嘩しないように
わざと明るく振る舞った。
空気が悪と察したら
どうにか気が逸れるように
話題を提供した。

私は幼い頃から
人の表情や感情、
場の空気感に対し
察しが良過ぎて
常に様子を伺い、
怯えている子どもでした。
赤ちゃんの時から
やっと寝たと思ったのに
布団に置けば泣く子だったそうです。

そしていつの間にか
私の中には
『人の機嫌を損ねる=危険』
という思考のクセが
染み付いていきました。
誰かが不機嫌なら、
自分に原因がないか考えた。
「相手を怒らせない」
「嫌な思いをさせない」
「穏便に済ませる」
それらを
”自分が生き抜くための術”
として身につけ
それが私にとって
”普通”になっていきました。

学生時代は、いわゆる
”いい子ちゃん”でした。
家庭のことも誰にも言えないまま、
表では普通に振る舞いました。
友達との関わり方に悩んだり、
先生の機嫌や顔色を伺ったり。
365日、心の奥底に闇を
抱えていましたが
いつもニコニコしていたので
「いつも笑顔で優しい人」
なんてよく言われました。
(本当は腹黒いのに…苦笑)
人との適切な距離感も、
心がしんどくなったときの
立て直し方も知らない。
ただ、
「嫌われないようにする」
「迷惑をかけない」
「ちゃんとする」
そんな生き方しか
知らないまま
大人になっていきました。

高校を卒業して地元に就職。
結婚・妊娠を機に退職し、
双子が生後半年のときに
シングルマザーとなりました。
そして
子どもが1歳半になった頃、
地元の金融機関で
働かせてもらえることになりました。
私はシングルマザーとして、
仕事、育児、家事、
・・・・・・
「全部ちゃんとやる」
そうやって毎日必死に
両立を頑張っていました。

子どもを保育園に預けて、
仕事に行く
帰ればご飯を作って
子どものことをして
また次の日が来る。
双子はイヤイヤ期真っ盛り
毎日をこなすことで精一杯でした。
そして、大人になってからも
母の機嫌を伺うことは
変わりませんでした。

両親は、
私が二十歳の時に離婚。
母は離婚してから
よく笑うようになって
私が幼い頃よりは
関わりやすくなっていました。
でも、機嫌を損ねると
理不尽に怒られるのは相変わらず。
私の子どもなのに、
双子が泣けば
「何したの!」
と、なぜか私が怒られる…

意味がわからず、
腹わたが煮えくり返ることも
何度もありましたが
子どもを預かってもらわないと
どうしても
困ることもあったので
グッと耐え。
「母の機嫌を損ねたら自分が困る」
そう思って、
自分の気持ちを押し殺し
実家にいる時は
いつも気を遣っていました。

そして、もちろん職場にも
気を遣う相手がいました。
地元でもともと知り合いだった
女性の先輩(主任)です。
面倒見が良く、
たくさん可愛がってもらって
最初は本当にありがたかった。
しかしその先輩は、
自分の機嫌が態度に出やすく
言い方も強めのバッサリ系。

普通に話しているだけでも
耳にズーン!と来るくらい
声が大きくて
大きな音が苦手な
HSPにとっては
結構ストレスだった…。
プライドも高く、
常に偉そうだった。
直属の先輩として
一緒に仕事をしていくうちに、
最初は見えていなかった部分が
少しずつ目につくように
なっていきました。
私との距離感に慣れてくると
私を完全に手下のように
扱うことが増えました。

私が、誰にでもあるような
うっかりミスをすれば
大きな声でいじり、バカにされ
ネタにされる。
いじめではないけれど
私になら何を言っても大丈夫
という感じ。
先輩に悪気はなく
”面白い奴”として
いじっているだけ。
もともと知り合いだったので
変に関係を拗らすこともできず
「嫌」とも言えませんでした。

それでも
ランチに誘ってくれたり
仕事でもフォローしてくれる
頼れる先輩ではありました。
そのうち、仕事だけではなく
プライベートでも
駒として使われるようになり
私が耐えきれず
ほんのちょっと冷たくすると
「親しき仲にも礼儀ありだからね?」
なんて言われました。

「いやいやいや…
お前がな?????」
と、声を大にして
言いたかったですが
腹黒い自分を
心の奥底に押し殺し
「すみません(笑)」
そういつも通り笑って
自分に仮面を被せました。

朝、目を覚ますと
「今日の先輩の機嫌はどうかな」
と考える。
朝の先輩の機嫌で
その日も私の機嫌も決まる。
仕事でわからないことがあっても
「今、話しかけても大丈夫かな…」
と、タイミングを見計らい過ぎて
なかなか聞けない。
私は毎日毎日
先輩の機嫌に左右されていました。

HSP気質が故に
職場で苦しかったことは
オフィスに入った瞬間
同僚たちの機嫌を
一瞬にして察知してしまうこと。
「うわぁ…空気重いっ」
「あの人、機嫌悪いな」
「あの人、疲れてそうだな」
「この人大丈夫?なんかあった?」
まるでエスパーかのように
同僚たちの表情や
滲み出ているオーラを
察知したくなくても察知してしまう。
「おはようございます」
その毎朝その一言を言うだけで
神経をすり減らしていました。

とにかく人に疲れる
寝ても寝ても眠い
誰とも関わりたくない
人間をやめて
ライオンにでも
なってしまいたい…
そんなある時、
「HSP」という気質を知り
「これは私の取説ですか?!」
「この私を説明できるものがあるんだ!」
と、衝撃を受けたことを
覚えています。

「自分だけじゃなかった!」
「私がおかしいわけではなかった!」
たくさん共感して、
安心することができました。
でも、HSPだと
分かったからといって、
心が救われたのは
ほんの一瞬。
事あるごとに
「HSPだから
メンタルが弱いんだ」
そうやって自分を
責める要素が増えただけ。
そんな中、上司から
新しい業務に加え
後輩の教育を
任されるようになりました。

後輩は、周りから見れば
「なんでこんなこともできないの?」
と思われてしまうようなことも多く
いわゆる
『普通じゃない子』として
扱われていました。
そんな後輩を
教えるのは正直大変でしたが
0から100まで
丁寧に教えてあげれば
忠実に仕事をこなしてくれます。
なのに、周りは
できないことばかりを見て
バカにする。
その後輩の愚痴を聞かされたり
「ほんとよく教えてるよね」
と言われたりもして
その間に立たされる私は
どんどん苦しくなっていきました。

自分の仕事もある。
でも、
後輩のことも任されている。
先輩からは愚痴を聞かされ
いじられ、駒のように扱われる。
時には、同僚から
どうでもいい悩み相談も受けた。
いつもニコニコしてるから
みんな私に言いやすかったのでしょう。
相手に不快な思いをさせてはいけない
弱さを見せてはいけない
頼みを断ってはいけない
どんなにしんどくても
平然と振る舞い、
”いい人”を演じ続けました。

でも…
家に帰れば、
着替えもせずそのまま
床に倒れ込み
ご飯も作る気力がないし
子どもを放置して
そのまま床で寝てしまう…
20時頃目が覚めて
なんとか体を起こし
子どもたちに
最低限のご飯を与える…
もちろん
お風呂に入る気力はないので
朝、3人でシャワーを浴びる。
起きるのもギリギリ
支度もギリギリ
部屋は散らかりっぱなし。

思うように言葉が伝わらない
双子に向かって
「早く食べろ!!」
「早く靴はけ!!」
と怒鳴り散らして
なんとか家を出る…
『生きてるだけで精一杯』
そんな状態。
本当は子どもたちと
もっとちゃんと関わりたい。
栄養のあるご飯を
ちゃんと作りたい。
休日は思いっきり
一緒に遊びたい。
笑っているママでいたい。
私だっていろんなところに
出かけたい。
でも、そんな余力は
1%もありませんでした。

職場では
先輩の機嫌を伺い、左右されて
後輩には丁寧すぎるほど
気を遣った教育。
家に帰れば、子どもをあやし
機嫌をとる。
実家に行けば
母の機嫌を損ねないように
自分を押し殺す。
振り返ると
私はどこにいる時も
誰かの”機嫌”
のために頑張っていた。

そして、
自分の機嫌を取ることも知らず
自分のことは全部後回し。
そんな生活を
続けているうちに、
「私って鬱なのかな?」
そう思うようになりました。
何度もネットで検索して、
何度も自己診断する。
結果はいつでも
「軽度うつ」
「中度うつ」

それにもかかわらず、
「ネットの診断だし」
「これ言ったらみんなうつでしょ」
「うつって自覚があるうちは大丈夫」
そうやって
自分に言い聞かせ
同じ毎日を
なんとかやり過ごしました。
「毎日がしんどすぎる」
「でも頑張らなきゃ」
「みんな頑張っている」
「私が弱いだけ」
「怠けてるだけ」
そうやって、
限界をとっくに超えていることにも
気づかないまま、
私はさらに自分を
追い詰めていきました。

そして、ある日――
職場で、
今まで我慢してきたものが
一気に崩れる出来事が起きました。
後輩の顔に
蕁麻疹が出ていて
真っ赤になっていました。
たまたま通りかかった私が
その異変に気づき、
声をかけました。
後輩は、それまでの
職場でのストレスが積み重なり
かなり追い詰められて
いたのだと思います。
(後輩は、自分の重大さに
気づいていなかった様子…汗)

「一瞬で見てわかるほどの赤さ。
近くにいる人達は、なぜ気づかない!?」
これも、HSP気質特有の
『小さな変化によく気づく』
というところなのでしょう…。
苛立ちが込み上げる中、
先輩から
「あなたのせいで蕁麻疹出たんでしょ(笑)」
「病院送りにしちゃったね」
・・・
はい?????
その瞬間、
それまで張り詰めていた糸が
プチン…と切れたのがわかりました。

だって、
後輩をここまで追い込んだのは
恐らく私ではありません。
先輩たちのあからさまな態度や
言いががり、
わざと聞こえるように言う悪口。
職場でのストレスが積み重なって、
後輩は、蕁麻疹が出るほどに
追い詰められていたのです。
なのに、なぜ私が
「あなたのせい」なんて
言われなきゃいけないのか。
冗談にも程がある…

しかも、その後輩に、
一番対等に接していたのは
私だと自信を持って言えます。
主任である立場で
なぜそんなことが言えるのでしょう。
責任感のなさに
人間性を疑いました。
部下がここまで
追い詰められていることに
気づかなかった自分のことを
問題視するべきじゃないのか。
そんな思いが
一気に込み上げ、
「もう無理!やってらんない!」
「なんで私ばっかり
こんな辛い思いしなきゃいけないの?」
「こっちは毎日毎日あんたの機嫌に
合わせてやってるのに!」
本当は、そう言いたかった。

でもまぁ、自分の気持ちを
人前で押し殺しきた私には
言えるわけがなく…
そのままニコリともせず
立ち去りました。
もう冗談とか
いじりとか
聞き流せる状態では
なくなっていたんです。
心の中でただ沸々と
消化できない怒りに駆られ
「もうしんどい」
「人間やめたい」
「真面目損だ…」
どうしようもない涙が
溢れ出しました。

そして翌日ーー。
何とか出勤したものの
朝から具合が悪く
私は会議中にパニック発作を
起こしてしまいました。
情けなくて
恥ずかしかった。
「迷惑をかけてしまっている」
「こんな姿を見せてしまった」
発作が起きているのに
気にするのは他人のこと。
「すみません」
「ごめんなさい」
永遠と言っていた気がします。

うまく息ができず
手足はシビれ
体に力が入らない。
「最悪だよもう…」
「明日からどんな顔すれば?…」
「ほんっと情けない」
上司3人を目の前に
これでもかと言うほど
泣き喚きました。
帰宅後、藁にすがる思いで
オンライン診療を受診。
「うつ状態」
と診断を受け、
「明日から休んで」
いつもニコニコしていた私は、
周りからは
”普通”に見えていたそうで
上司も
「いつも明るかったから…」
と、驚きを隠せないほど。
上司の後押しもあり、
怖かったけど
思い切って休職することを
決めました。
私はずっと、
誰かが困っていないか
誰かが怒っていないか
誰かが傷ついていないか
そして
自分がどう思われているか
そんなことばかり
気にして生きてきた。
でも、一番気にかけるべき
だったのは自分自身だった。

休職すると、
罪悪感に襲われるだろうと
覚悟していましたが
意外にも、
「もう仕事に行かなくていい」
「頑張らなくていいんだ…」
と安心感の方が大きく
魂が抜けました。
休職して3ヶ月ほど経った頃、
私はある決意をします。
もう、
こんな弱い自分は嫌だ…
誰にも振り回されたくない
何を言われても傷つかない
強い自分になりたい
心身共に健康でいたい
心に余裕のある
笑顔な母でいたい
そのためには、
「弱い自分を変えなきゃ」
「HSP気質な自分を変えなきゃ」
そう強く思いました。

誰かを変えることはできない。
だったら
自分が変わるしかない。
そう決意しました。
人に強くなるために
自己啓発本を10冊ほど
買い漁り、
「これならできそう!」
そう思う方法を見つけては、
片っ端から試してみるけど
続かない。
その中で、
「他人軸」「自分軸」という
言葉を見つけ
自分がこれまで
「他人軸」で生きてきたことに
気付かされました。

では、
自分軸を持つには?
『自分軸』
そう検索してみると
『自分の感情を書き出す』
ジャーナリングという方法を
知りました。
「自分の気持ちを書くだけなら
余裕でできそう!」
「これなら私も
生きやすくなれるかも!」
そう思って
モチベーションが高まるような
ノートとペンを買い、
夜、寝る前に
自分の気持ちを
書き出してみました。

しかし…
3日も続かない
2日坊主。
「また続かなかった」
「簡単なことすら続けられない」
と、私はまた
できない自分を責めました。
自分はHSPだと分かっている。
だから生きづらいことも
わかっている。
なのに、
どうしたらいいのか
分からない。
少し休めば回復できると
思っていたのに
日だけが経つばかり。

『仕事を休んでいる=元気』
そう思われているんじゃないかと
妄想しました。
でも実際は、
休職したからといって
すぐに元気になれたわけじゃなかった。
だから、
たまたま知り合いに会って
「元気?」って聞かれるのが
すごく嫌でした。
休んでいるんだから、
「元気だよ」
って答えなきゃいけないような
気がして。
誰のどんな言葉で
自分が傷つくのかわからない。
人と会うことが怖くなり
自分の表情を見られることさえ
怖くなってしまいました。

最初は心配してくれていた母も、
休職が長くなるにつれて、
変わっていきました。
「いつまで休んでるの?」
「ママだって
いろいろ言われるんだからね」
そんなことを
言われるようになりました。
といっても
母に言われた当時は
休職して3ヶ月目。
母は、娘の心配より
自分がどう見られるかの方が
大事なんだ。
自分の娘がうつになったことを
受け入れられないようでした。

一番理解してほしい人に
理解してもらえない。
一番助けて欲しい人に
助けてもらえない。
「やっぱり私は誰にも
分かってもらえないんだ」
何をしても続かない。
仕事にも戻れない。
人とも関われない。
この先、
どうやって生きていけばいいのか。
私はこれまで
誰の何のために生きてきたのか
わからなくなりました。

それまで、
オンラインの心療内科を
受診していた私ですが
「もうオンラインではダメ」
「しっかり対面で、精神科を受けて」
そう言われてしまい、
精神科にかかることになりました。
ドキドキしながら
いざ、予約の電話をしてみると
最初の2件とも
『新規受付は3ヶ月待ち』
明日のこともわからないのに
3ヶ月待ちなんて…
絶望でした。

心の奥底では
「何とかしなければ…」
と思っていた私は
ダメ元で3件目に電話をし
涙ながらに訴えました。
すると、
緊急性が高いということで
数日後に受診できることになりました。
診断結果は
『うつ状態・適応障害」
まさか自分が
訪れる日が来るとは
思っていなかった場所。

ドキドキして怖かったですが
丁寧にお話を聞いてくれて
終わってみると
肩の荷が降りたような、
どこかホッとした気持ちになりました。
この生きづらさを感じずに
楽しい人生を送っている人がいるなら
私もそうなりたい。
本音を飲み込み
人の機嫌に左右される
毎日はもう嫌。
私だって
自分に自信を持って
「生まれてきてよかった」
そう思える人生を
送りたい。

精神科を受けて
一安心した矢先、
そんな願いが
強くなっていきました。
自分に合わない環境から
思い切って離れれば、
まだ生き直すチャンスが
あるかもしれない…
そんなことを
心のどこかで思っていました。
いつも通り
ソファに寝転がって
興味もないリール動画を
ただただスクロールしていた
ある日のこと。

たまたま目に止まった
ひとつのリール動画…
そこには、
私と同じような境遇で
自分がHSPであることに
生きづらさを抱えながらも
前を向いて
進んでいる人がいました。
「この人、私と同じすぎる…!」
「何か参考になるかも!」
少し光が見えた私は
そのアカウントを早速フォロー。
すると後日、
その方から
DMが届いたのです。

その方は、発信者として
SNSで活動していたKさん。
DMで私の現状を
聞いてくださって
「よかったら電話繋げましょうか?」
と、電話で
とことん私の泣き言を
聞いてくださいました。
顔もわからない、
どこの誰かも知らない人に
なぜこんなに心が開けるのか??
不思議な感覚を覚えながら
いろいろお話しするうちに
「自分軸をきちんと持っていて
自分の言葉に自信があって
素敵な人だなぁ」
そう感じていました。

驚いたのは、
対人関係にいつも
息苦しさを感じていた私が
いつもよりラクに
話せていたことです。
まず、
自分の考えを話しても
絶対に否定されない。
考えや経験を共有して
私にも選択させてくれる。
私がどうしたいのか
何度も私の意思を確かめてくれる。
今不安なこと、心配なことが
「どうしたら解消されるのか」
を一緒に考えてくれる。
そんな人は初めてで
「こんな人、世の中にいるんだ…」
と、私にとっての
衝撃的な出会いでした。

過去を思い返せば、
いつも母から否定の言葉を
かけられていました。
自分の考えも
好みの服も
苦手だったことも
「バカじゃないの」
「センスない」
「ほんっと鈍臭い」
と否定され、
黙ってムスッとする私を見て
「かわいくないね〜」
と、何度言われたことか。
いつしか
『自分には何の取り柄も
価値もない』
そう考え、
自分すら自分を
否定していました。

褒められても
成果がででも
「他の人の方がすごい」
「私なんか全然」
そう思うことで
自分に期待して
裏切られないように
これ以上傷つかないように
していたんです。
そんな状態だったので
『否定しないで聞いてくれる』
それだけで
大きな安心感がありました。

心を開くのが苦手な私は
オンラインで知り合った方と
深い関係なんて
築けるわけがない。
正直、初めはそう思っていました。
でも、関われば関わるほど
「本当に信頼してもいいのかも…」
と思える出来事ばかり。
私はようやく
『自分を理解しようとしてくれる人』
を見つけることができたのです。

私は自分の
”人目を気にしすぎてしまうこと”
について相談してみようかと
思いましたが、
「こんなこと
急に聞いても変だろうし…」
「めんどくさい人って
引かれたらどうしよう」
「”誰も見てないよ!”
って言われて終わるかな…」
過去を思い返しては踏み出せず
3日間くらい悩みました。
やっぱり
相談するのやめておこうかな
とあきらめようになったその時
「自分を変えたいとか言っておいて
このラストチャンスを逃すの?」
そんな自分の天の声が
聞こえてきました。

私は勇気を振り絞って
「相談したいことがあります!」
と、初めて自分から
誰かを頼り、
ZOOMを使ったビデオ通話で
今まで誰にも打ち明けられなかった
「心の本音」を
話すことができました。
そして、お話しを聞いてみると
Kさんも以前、
人目を気にしてしまうことに悩み
私と変わらないくらい
超ネガティブだったことが
わかったんです。
そして、一番初めにやらないと
いけないのは
「過去の自分の傷と向き合って
思考のクセに気づくこと」
だとアドバイスを
くださいました。

思考のクセ…
自分の考え方を
『クセ』だと思ったことがなかったので
どうやって気づけばいいんだろう??
そう思いましたが
とにかくKさんに言われた通り
やってみようと、本格的に
自分と向き合い始めました。
自分がどこの誰で
何歳なのか、
どんな家族構成なのか。
自分のことを
事細かく書き出した後
今抱えている悩みを
50個書き出しました。

この作業が
とにかく大変で!!
ネガティブな経験を
思い出そうとするだけで
胸は張り裂けそうなほど
苦しいし
涙は出るし
吐き気がする。
実際のところ
しんどすぎて
何度も諦めかけました。
自分のことは
自分が一番よく知っている。
悩み50個なんて
余裕で書き出せると
思っていたので、
自分と向き合うって
こんなに心すり減るの??
そう思いました。

けれど、その時の私には
Kさんという味方がいました。
悩んだら頼っていいと
言ってくれました。
・できたことに目を向けること
・1分悩んだらすぐ相談!
Kさんからは
こんなアドバイスを
いただいていました。
何だか幼い子に
言い聞かせるような
内容ですよね。
でも、こんな些細なことが
私はまるで
できていなかったのです。
他にもあげればキリがないですが
Kさんから自分になかった考え方を
たくさん学びました。

そして、
過去の自分の傷と向き合い、
どこまでが
HSP気質による生きづらさで
どこからが
生きてきた環境による
生きづらさなのか
一つ一つ解いていくうちに
生きづらさを何とかしようと
情報収集していたことが
自分の中にしっくり
入ってくるのを感じました。
自分の考え方が変わると
驚くことに、私を取り巻く環境や
人間関係も変わっていきました。

どういうことかと言うと
どんな自分も受け入れて
自分で自分の行動を
選択できるようになっていったんです。
「これができなかった」
→「でもこれはできた」
と自分を素直に褒める
「嫌な言葉を言われた」
→「うん、嫌だったね、傷ついたね」
と自分の気持ちを受け入れる
「相手がどう思うか」
→ 「私はどうしたいの?」
と自分に耳を傾けられる
「あの人の機嫌が悪いのは私のせい」
→ 「相手の機嫌は相手のもの」
「自分の機嫌は自分で取るもの」
と境界線を引ける
「行きたくないけど断れない」
→ 「行きたくないのになぜ行くの?」
と自分の本心を聞ける
こんな具合です。

このような状態になってくると
なぜか気分が前向きで
毎日が新鮮に感じる
思考が一つずつ解かれ
一人反省会を
する時間が減る
自分の本当の気持ちに
目を向けられるようになる
人との適度な距離感が
取れるようになる
自分の人生を
自分でコントロールできている
充実感に包まれる
そういった変化を
感じるようになりました。

そして、
自分が変化していく中で
ようやく気づきました。
HSP気質による
生きづらさを手放すためには
「過去の出来事から逃げずに
自分の心と向き合うこと」
「どんな自分も受け入れる力」
そして、
『味方』が必要不可欠だと。

これまでの私は
人に流れされ、人に合わせて
「誰かの機嫌のために生きること」
を当たり前としてきました。
「自分が我慢すればいい」
「機嫌を損ねてはいけない」
そうやって
自分の気持ちにフタをして
生きてました。

「自分で選んだ道を
自分で正解にしていけばいい」
「完璧じゃなくていい」
そう言ってくれる
味方に出会えたことで
「私も、自分のために生きていい」
そう思えるようになりました。

過去の傷と向き合って
”自分の本音”を知り、
理解者と共に
”ありのままの自分”
を許すことができたとき
初めて心の底から
行動する力が湧いてきたんです。

だから今、
もしあなたが
変われない自分を
”弱い”と責めているのなら
大きな行動から
始めなくていいんです。
まずは、
過去の傷と向き合い
どんな自分も受け入れること。
そして、
HSP気質の特性を理解して
自分の扱い方を知ること。
私もそこから
人生が動き始めました。

そして今では、
Kさんから受け取った考え方を
私が『味方』となり
伝えていくことで
私と同じように
HSP気質による生きづらさに
悩んでいた方が
次第に
生きやすくなっていくのを
見ることができるようになりました。

私が今まで苦しんでいた
自分の気質すら
「素敵なところ」として
褒めていただく機会も増え
ありのままの自分も
少なからず
良い影響を与えられるんだ!
そのことを
幸せに感じています。
日々の小さな一歩が
やがて人生を大きく変える
そう実感しています。

こうして私は、
自分の本音を知り、
受け入れ
時には理解者に相談することで
今まで散々悩んできた
「生きづらさ」を
手放していくことが
できるようになりました。
そして、
自分の人生のハンドルを握り
主体的に生きることが
できるようになったのです。

しかし、それと同時に
ある思いが浮かびました。
気が弱い
優柔不断
ポンコツ
気にしすぎ
根性なし
そんな
『否定の言葉』によって
心に深い傷を負い
人の機嫌に振り回されてばかり
日々、自分の無力感に襲われ
前に進めないでいる。

そんな人が、私以外にも
たくさんいるのではないか。
あなたを取り巻く
環境によって
常に他人の顔色を伺ってしまう
自分に自信が持てない
人を警戒してしまう
自分の意見が言えない
自分の価値がわからない
そんな解決法のわからない
数々の生きづらさに
悩まされ続けている。
そんな方がいるのではないか。

過去に受けた傷は
事実であり
あなたがどう頑張っても
なかったことにはできません。
魔法使いのように
時間を戻すことも
できません。
けれど私は
生まれ持ったHSP気質と
その過去のせいで
あなたがこれからの人生を
諦める必要はない
と、お伝えしたい。
そう、強く思いました。

「人比べなくていい」
「自分は自分を生きていい」
「意思を表示することは
わがままじゃない」
そう思えるようなって
自分を認めることで
悩んでも立ち直れる心が
育っていきました。
本当の
自分の気持ちに気づいて
他人の物差しで
自分を見ることをやめたら
自分のことを
ずっと大切にできるように
なりました。
過度な自己犠牲をしない
自分を否定しない
自然体な自分で
居られる時間が増えました。

以前は、
「自分がどう思われるのか」
を気にしすぎて、
自分の意思や本音を
伝えられず
自己犠牲ばかりの
一方的な関係を作っていました。
しかし、
過去の自分と向き合ったことで
「自分はどんな時に傷つくのか」
「本当はどうしたいのか」
自分の心の声が
よく聞こえるようになり
「そのことを伝えてもいい」
と、自分に許可を出すことで
少しずつ、素直な気持ちを
言葉にできるようになりました。
その結果、
自分の意思に自信を持ち
自分を犠牲にした
人付き合いをやめた。
平穏な人間関係を
築くことができました。

以前の私なら
今のような人生があることを
思い描くことすらできませんでした。
だから、
そんな私を変えてくれた
Kさんとの出会いに
心から感謝しています。
そして、
どれだけ人生に絶望しても
自己投資をして
行動して
人生を生き直そう
とした自分にも
「よくやった!」
「よく頑張った!」
と、声をかけたいです。

「過去の自分と向き合い
どんな自分も受け入れる」
「繊細な自分と
付き合う方法を知る」
という気づき。
これが
私の人生を動かしました。
「過去に囚われなくていい」
「自分の本音を出すことは
わがままではない」
「いつからだって
人は変われる」
これらを受け入れ
味方に支えてもらいながら
自分で乗り越えることで
「生まれてきてよかった」
そう心から思える
人生を手に入れることが
できました。

以前の私は、
人の顔色を伺い
自分の気持ちに目も向けず
常に誰かの機嫌のために
生きていました。
社会人になって
対人関係に息詰まり
自分の価値さえ
わからなくなっていました。
しかし、
Kさんとの出会いを
きっかけに
過去の自分と向き合い
自分を受け入れ進むことを
学びました。
そして、
自分の人生を
生き始めることが
できたのです。
これは誰にでも
実現可能だと
断言できます。

なぜなら、
人の機嫌に振り回され
自分の全てに
否定が付きまとい
責め続ける
何の取り柄も
得意なこともなく
『生きてるだけで精一杯』
「人間やめたい」
と、思い続けてきた。
そんな
私のような人間でも
変わることが
できたのですから。

私がしたことといえば、
「病み人間から解放されたい」
「自分の好きに生きてみたい」
その望みを諦めきれず、
自分の手に届く精一杯のことに
チャレンジし続けただけです。
「他人軸・自分軸
という概念がある」
「HSP気質を理解し、
どんな自分も受け入れることが
はじめの一歩」
「今まで、人を頼ることを
知らなかった自分に
強い味方がいる」
それを知ったことで
自分への考え方が変わりました。

そして、
自分の理想を叶えている
先駆者から学んで
正しい方向の努力をすることが
大切なことだと
わかったのです。
私がこの記事を
書いている理由は
普段のご相談の傾向から
私と同じように
HSP気質による対人関係に悩み
HSP気質について理解されず
ただ「弱いもの扱い」されるだけ。
過去に受けた心の傷によって
人に対する警戒心が強く
誰にも相談することもできない。
明日の自分すら見えず
生き苦しい毎日を
過ごしている方が
この公式LINEには
たくさんいるのではないか
と思ったからです。
そんな方が
一歩を踏み出す
きっかけになればいい。

そして、
繊細でも、ありのままの自分で
心から笑って生きられる
自分で自分の人生を選択できる
輝く未来を手に入れてほしい
そう心から思っているからです。
だからと言って
私の考えが
絶対というわけではありません。
色々な考えの方が
世の中にはいます。
その考えを否定することは
ありません。

ただ、
これだけは言わせてください。
あなたの人生は
あなたが決めていい
誰かのためではなく
自分のために生きる人生です
時間は無限ではありません
命には限りがあります
その限られた人生を
あなたはどうしたいですか?
過去には戻れません。
今からしか生きられないのです。
どうせ生きなきゃいけない人生なら
これ以上悩まず、
幸せを感じて楽しい人生にしたい。
そう思いませんか?

しかし
8割の人は
「どうせ変われない」
「挑戦はなんかできない」
「今更もう遅い」
「嫌なことから目を背く」
そうやって
行動することを
諦めてしまいます。
これは、
投資を毛嫌いしている人と
同じ状態です。
ただの貯金ではなく
投資しておけば
価値が上がる可能性の方が高いのに
どうせ変わらないと思い込み
過去と向き合うのを怖がり
今更遅いと諦め
学ぼうともせず
得ることができたはずの利益を
ドブに捨てている
パチンコで勝てる確率に賭けて
「いつか大当たりする」と
叶わぬ夢を見続けている
そんな私の父と同じです。
しかし、この記事を
ここまで読んでくださっている
あなたは
今の生きづらさから解放され、
繊細な自分と付き合いながら
楽しくも充実感ある人生にしたい
そう思っているはずです。
それなら
やることはただ一つだけ。
諦めずに進み続けましょう。

大丈夫です。
この記事をここまで
読んでくださっている
強い意思を持つ
あなたなら
過去や、
人の機嫌に縛られず
自分の気持ちを大切にして
あなたらしい人生を歩む
その素質を持っています。
今の自分ができることを
精一杯やっていきましょう。
大きな山を登る時も
小さな一歩の積み重ねです
その小さな一歩を踏み出して
『過去の自分と向き合い
繊細な自分と付き合う方法』
それを知れば、
あなたはもう
成長していくだけです。

大丈夫。
あなたは必ず
今の生きづらさから解放され、
繊細な自分と付き合いながら
楽しくも充実感ある人生を
歩むことができます。
もちろん
そこまでの道のりは
楽な道のりではありません。
楽ではないですが
隣には私がいます。
共に歩いてみませんか?
私があなたの
輝く未来に向かう
背中を支えます。
「生まれてきてよかった」
そう思える人生にしましょう
あなたはあなたの人生の
主役なのですから。

今日も
簡単なワークに
お答えくださいね。
実際に行動できる人は
たったの2割です。
===========
📝本日のワーク
===========
Q.あなたが人生で1番
大切だと思うことは?
例) 感謝の心
👇画像タップでお答えください
(10秒で終わります)

ワークではあなたのお名前は
分からないようになっています。
回答は私にしか
表示されませんので
安心してくださいね。
今日も最後まで
読んでいただき
ありがとうございました!
また明日の20時に
お会いできるのを
楽しみにしております!
とうふ◻️



コメント